滋賀県の農業の中心は稲作で、耕地面積のうち田んぼが占める割合を示す水田率は約92%もあり、富山県に次いで全国で第2位。昭和27年からずっと正月用の餅として昭和天皇陛下に献上し続けてきたという歴史を持つ滋賀羽二重糯(しがはぶたえもち)というもち米、大正時代に育成され、最近復活した「幻の酒米」といわれた滋賀渡船など……全国で注目されている米を輩出している滋賀県。しかし主食米では「近江米」という言葉こそ知られているが、全国にその名を知らしめる独自のブランド米を持っていなかったのだ。そんな状況の中で、県の期待を背負い育成された新品種が、2013年にデビューし、2015年には食味ランキングで特Aを獲得したみずかがみなのである。

戦国時代、江戸時代とその名を馳せてきた近江米の名声が地に落ちる事態に!


試験圃場における田植え風景
 滋賀県(近江国)は、昔から「米どころ」として名を馳せていた。現在の東北地方一帯が未開発だった奈良時代は、日本一の石高(生産量)を誇っていたといわれている。特に野洲川が流れる現在の湖南地域は、豊かな穀倉地帯だった。野洲川は「近江太郎」の異名を持つ暴れ川だったが、同時に大地に豊かな恵みをもたらしていたのである。
 戦国時代、織田信長が近江に安土城を築城し、拠点としたのは、当時の都・京都に近いなどの様々な要素が考えられるが、この穀倉地帯を掌握しておきたかったのも理由の一つだったといわれている。当時の近江国は、広大な領地を持っていた陸奥国(東北地方北部一帯)に次いで、全国第2位の石高を誇っていたのだ。
 江戸時代に入ると、野洲川の治水工事が進み、新田開発が積極的に行なわれ、石高をさらに増やしていった。そして近江米は「京都の御備米」と呼ばれ、大都市・京都や大坂の人々の胃袋を支えていたのである。また、その品質は良く、明治に入り初代滋賀県令となった松田道之は、「今後、海外への輸出が盛んになれば、現在の〝江州米(近江米)〟から〝日本ノ名物品〟になるだろう」とも記している。

 

試験圃場における「みずかがみ
 しかし、評価が高かった近江米に、突如危難が襲い掛かる。その契機となったのが、明治8年(1875)に施行された地租改正だった。租税がすべて金納になったため、農業者の間で米の品質管理(生産体制)の規制が弛緩し、生産される米の品質が著しく低下。
小粒で粗悪な近江米が広く流通するようになっていく。そのため滋賀県産の米は、「日本ノ名物品」から一転、「江州の掃き寄せ米」と酷評されるまでに。まさにその名声は地に落ちたのだった。
 ここから滋賀県の農業関係者は、長い期間を掛けた汚名返上の戦いが続いていくことになる。明治28年には県の農業試験場が発足しているが、すでにその前から新品種の育種は行なわれていたという。西を代表する穀倉地帯であり「近江米(江州米)」として古代より高い評価を受けてきた滋賀県にとっては、新品種による米の品質向上が切羽詰った課題となっていたことは、想像に難くない。
 それから100年以上に渡る長い米の品質改良の過程の中で、「幻の酒米」として知られることになる滋賀渡船やもち米の滋賀羽二重糯も生まれてきたのである。
 

中生品種の日本晴から早生品種への急激な移行は、リスクも多かった。


「みずかがみ」稲の立毛時期の光景
 そんな毀誉褒貶の時代を経てきた近江米であるが、現在(平成27年)、滋賀県における水稲の作付面積は約3万2200ha。生産量は全国で17番目と、数字的には往時の「米どころ」のイメージはない。しかし、生産高は県内消費量を上回っており、関西を中心に各地に出荷されているのだ。
 現在の滋賀県の水稲の中核をなしているのは、コシヒカリ(平成27年産の約40%)、キヌヒカリ(同約23%)と日本晴(同約10%強)。そして徐々に作付面積を伸ばしているのが、滋賀県で育種された秋の詩(同7%)とみずかがみ(同6%)である。
 ここで注目したいのが日本晴。昭和38年(1963)に愛知県総合農業試験場で育成された品種。昭和45年(1970)~同53年(1978)までは、全国の作付面積1位を誇っていたが、コシヒカリの誕生とともに作付面積は減少の一途をたどっている。滋賀県においても、昭和の終わりまでは水稲全体の約60%で作付けされていたが、ご多聞にもれず徐々にコシヒカリやキヌヒカリへと移行していった。
 日本晴は中生品種。一方、コシヒカリやキヌヒカリは滋賀県では早生品種であり、移行に伴い、結果として米の生産の早生化が進んでいったのである。しかしこぞっての早生化は、気候リスクや農家の作業効率を考えると必ずしも好ましいとはいえなかった。円滑な農業経営には、作期分散が必要であったのだ。 



滋賀県農業技術振興センター 谷口部長
「日本晴は、作りやすく、食味、品質に関しても評価が高かったので、滋賀県では他県ほど急速に移行せず、ある程度は中生の主力品種として作付けが続けられました」そして2000年以降は、滋賀県は数少ない日本晴の産地となっていく。しかし……。
「一般的にコシヒカリの味が好まれたこと、一部地域(関東など)で生産されたものの品質が悪かったことが影響して、日本晴自体の評価が落ちてしまったのです。結果、〝まだ日本晴を作っているの?〟などと、他県から揶揄されることもあったと聞いています」
 滋賀県農業技術振興センター/栽培研究部の谷口真一部長は、当時の状況をこう語っている。その状況を打破するため、良食味で、かつ品質が良い次世代の中生品種を望む声が関係者から強く上るようになっていったのは、自明の理ともいえる。
 この要望に応えるために、平成2年から育種が始まったのが、母本に滋系54号(のちの吟おうみ)、父本をコシヒカリに持つ「秋の詩」だ。「中生で、食味を日本晴以上のものにすることが目標でした」と谷口部長。
 秋の詩は、平成10年(1998)に品種登録され、翌年から一般栽培が開始されている。しかし日本晴に代わる中生の主力品種として、一気に作付面積を伸ばしていったわけではない。炊き上がり時に、ほのかな甘みがあり、適度な粘りが特徴であったが、食味ランキングではAランクに甘んじており、コシヒカリを凌駕するほどの良食味というわけにはいかなかったからである。





 

滋賀県農政水産部 鋒山副参事

 それでも秋の詩は、徐々にではあるが作付面積を広げていった。そして10年かけ、2000haを超えるまでになったのだ。そして、平成27年(2015)産米は、後述するみずかがみと同時に、滋賀県のオリジナルブランド米としては、初の特Aを獲得するにいたった。
「ただし、生産量も限られており、価格的にコシヒカリに比べ高くないことで業務用に使われることが多く、一般家庭の主食米として普及することはほとんどありませんでした」と谷口部長は語っている。
 また滋賀県産米の生産振興を担当する県農政水産部農業経営課の鋒山和幸副参事は、こう指摘している。
「コシヒカリ、キヌヒカリの早生の2品種で60%を占めています。気候リスク、作期分散を考えたら、中生で良い品種が望ましい。でも、コシヒカリのネームバリューと生産者価格、キヌヒカリの作りやすさを考えたら、中生だからといって、いっきに秋の詩に移行するのは難しい状況。もう少し、価格などのメリットが現れれば……と期待しています」









 

近年の高温にも品質が落ちない良食味米の育種が急務に。

コンバインによる収穫作業の風景
 新品種の育種に関しては、秋の詩で一定程度の成果を上げた滋賀県だが、近年、新たな問題が浮上してきていた。
 滋賀県では琵琶湖の東岸に水田地帯が広がっているが、概ね北部ではコシヒカリが作付けされており、南部にいくほどキヌヒカリ、日本晴の作付面積が多くなっている。もちろん、中山間部と平野部では差があるが……。この主に南部で作付けされているキヌヒカリに、問題が起こってきたのである。近年の登熟期の高温の影響で、年によっては玄米に、外観品質の低下、白未熟米などの障害が出て、また収量が落ちることも。
 コシヒカリは田植え時期をずらすなどの対応策を講じたこともあり、それらの障害は少なくなってきたが、もともと高温登熟耐性が弱いキヌヒカリでは、障害が顕著にみられるようになってきたのである。そのためキヌヒカリに代わる新品種育成を望む声が、10数年前から高くなった。しかも、コシヒカリと同等、あるいはそれ以上の極良食味という条件も付加されて。
 県農業技術振興センターではその声を受け、高温でも品質が落ちず、かつ良食味米の育種に取り掛かったことはいうまでもない。目標はあくまでも高く、「高温登熟耐性に優れ、極良食味に加え、耐倒伏性、耐病性にも優れ、収量に関してもキヌヒカリと同等」とされた。 

滋賀県農業技術振興センター
 最初の交配が行なわれたのは、平成15年のこと。その交配された中に、のちのみずかがみになるヒノヒカリ系統の滋賀66号(滋系○号という番号は滋賀○号に変わっている)を母本、ひとめぼれ系統の滋賀64号を父本とした組み合わせがあった。
「選抜には、まずは高温でも品質が落ちないかけ合わせに、重きが置かれました。そのため平成21年には、高温登熟の検定用に外気温より2~3度高くなるハウスを建てて栽培。それでも品質が落ちないものを選抜していったのです。個人的には、手応えをつかんだのは平成21年の奨励品種決定調査あたりから。翌年も同様に栽培して〝これならいけるやろ!〟と確信しました。もちろん食味に関しても問題ありませんでしたね」
 こう谷口部長は語っている。しかし彼は、最終的な絞り込みには、大分悩んだようだ。
「みずかがみになった滋賀73号は、品質は申し分ないが穂数が少なく、収量を得るためには初期の栽培管理が必要。それに対してもう一系統は、収量は問題ないが、安定性に欠けるという課題があったのです。最終的には品質を考え、滋賀73号でいくことにしました」
 滋賀73号は、平成23~24年に一般圃場での現地調査が行なわれ、問題なしと判断され、24年に品種出願、その秋に一般公募により「みずかがみ」と命名されることになった。 

「環境こだわり米」のみずかがみで、近江米全体のイメージアップを!


「みずかがみ」米袋
 みずかがみの名前の「みず」は「豊かな水源・琵琶湖」を、「かがみ」には「作り手の真心がそのままお米に反映している」という意味が込められている。
 みずかがみは平成25年に正式にデビューし、一般栽培が始まっているが、種子がなかったこともあり、わずか169haからのスタートであった。
 この年に収穫したみずかがみは、食味ランキングにおいて参考品種として特Aの評価を得ている。しかし、翌26年は8月の日照時間が例年の1/2~1/3程度しかなく、品質が低下したこともあり、Aに甘んじていた。そして、平成27年――。この年は、日照時間も十分にあり、「これならいける!」という自信をもっての出品となった。
「正直、うれしかったですね。やったぞ、というに気分。懇意にしている農家からは〝よかったね〟というお声をいただきましたし……」と谷口部長は、その時の喜びを素直に表している。しかし鋒山副参事の頭には、様々な思いが去来したようだ。
「もちろん、県の育成品種で特Aをとったことがなかったので、うれしかったですよ。でも、半分は〝ホッとした〟という安堵の気持ちでした。そして、これからみずかがみをどう育てていくかが、頭をよぎりました」
 滋賀県では、平成25年の一般栽培開始に合わせ、「みずかがみ推進プロジェクト」を発足させ、「暑い年でも、品質の安定と食べて美味しい米づくり」を推進するとともに、「水源としての琵琶湖を守る」ことも念頭に置いた環境こだわり栽培を実践することを決めている。
・化学合成肥料の使用量を通常の半分以下に。
・農薬の使用量を通常の半分以下に。
・農業濁水を流さない。
など、生産者から環境こだわり農産物認証基準を満たす生産計画で生産することを約束してもらって種子を配る方式をとっている。それによって、みずかがみ全量が「環境こだわり米」という位置づけになっていったのだ。

 

滋賀県三日月知事によるトップセールス
 そして、鋒山副参事はみずかがみのブランド戦略について、次のように語っている。
「収穫量があって、作りやすく、コシヒカリを超えるような銘柄を育成するのは難しいのですが、まだまだ品種を改良する余地はあり、新しい品種改良技術も開発されてきています。これからは近江米自体のイメージを高めるために、オリジナルブランド米を育て上げることも必要なのではないでしょうか。各県とも、しのぎを削る時代といっていいかもしれません。山形県のつや姫のように、出荷する米に成分基準を設けるなど徹底した区分管理を行ったり、新潟の新之助ように〝ハレの日のお米=高級米〟として登場させたりと、国産米のテッペンに君臨するブランド米として育てるという方法論もあります。しかし、みずかがみは〝価格は高くないけれど、冷めても美味しいので、お弁当にも最適〟と若い世帯のお母さんたちに普段使いしてもらえるブランド米として育てたい。また環境こだわり米として、〝安全・安心で美味しい〟ということで、近江米の認知度の底上げにつなげたいと思っています」
 

「安全・安心で美味しいお米の産地づくり、人づくりが基本


県農業技術振興センターでの技術研修会
 だからといって滋賀県では、むやみにみずかがみの生産量を増やす施策を採っていない。みずかがみの作付面積は、平成27年は1,941ha、28年は2302haと確実に拡大している。しかし平成29年の3,000ha、日本晴レベル(全主食米の約10%)まで拡大するという目標を達成した以降は、流通の状況を見ていきたいとしている。「需要のあるお米であって、初めてマーケットインが成り立つのですから」と、慎重な姿勢をとっているのだ。
 もちろん、「将来的には全国へ流通させたい!」という話題が、県の農業関係者の中から上がらないわけではない。また谷口部長や鋒山副参事たちも、「みずかがみを全国へ」という夢を思い描かないわけではない。しかし――。
「作付面積を増やすことは、品質のバラつきを招きかねません。少なくとも滋賀県では、みずかがみはどこで作っても品質、食味が安定しているといわれる生産体制を作ることがいちばん大事だと思います。安全・安心で美味しいお米の産地づくり、人づくりこそが、農業の基本ですからね」
 まさにみずかがみの「かがみ」に込められた思いこそが、大事というわけなのだ。 

「みずかがみ」シンポジウムの光景
 ともすれば、夢に踊らされ、その基本は忘れがち。しかし滋賀県では、明治時代に生産量だけに目を向けたため「江州の掃き寄せ米」と酷評された苦い経験が、今でも教訓として農業関係者には息づいているのかもしれない。だからこそ、秋の詩、みずかがみと、県のオリジナルブランド2品種が特Aを獲得しても、安易な方向へとはけして流れないのである。

 

 農業生産者からは「品質が安定しており、多収で業務用に相応しい品種」を望む声もあるので、農業技術振興センターでは、他県の動向を見つつ、次のステップを見据えた育種に取組んでいる。そしていつかは、コシヒカリ一辺倒であった銘柄(中核銘柄)の分散化にも、手を付けたいという思いが伺えた。
 平成30年に予定されている米政策の見直しによって、生産者の自由度が増すことをにらみ、滋賀県が新品種育成を含めどのような施策を打ってくるか、目が離せない状況だ。

*文中敬称略、画像提供:滋賀県農政水産部農業経営課、滋賀県農業技術振興センター