山形産米の歴史秘話 米どころ・山形、つや姫のブランド戦略を検証する(後編)

次代のエースと期待されたはえぬきだったが……

 平成2年の自主流通米入札結果の衝撃、平成4年の白未熟粒の大量発生で、山形県米関係者の間では、「庄内を含め山形県は、米の産地として生き残れるのか?」という声がいっきに噴出した。そのため、ササニシキに過度に集中している品種構成の改善、品質の地域、年次による格差の解消が求められた。山形県産ササニシキの低迷による山形県稲作の沈滞化、県産米の販売不振と評価低下からの立て直しの議論が、生産者だけでなく行政においても、盛んに交わされることに。

はえぬき・どまんなか イラスト
 結城場長は当時の状況を、次のように語っている。
「意見は大きく分けて2つありました。福島や岩手のように、宮城で育種された評判の良いひとめぼれでいこうというものと、本県で育種された品種で勝負しようというもの。最終的には本県はオリジナルでいこうという結論に至ったのです。そして、山形県立農業試験場庄内支場で育成された庄内29号と秋田31号(あきたこまち)を交配したはえぬき(山形45号)、中部42号(イブキワセ)と庄内29号を交配したどまんなか(山形35号)が、平成4年同時にデビューしたのです」
 

 それを受け、中生の晩種で食味がコシヒカリ系のはえぬきは庄内地域などの平野部、中生種でササニシキ系のどまんなかは、中山間部の主力品種として位置づけられた。そして将来的には2品種で山形県の総作付面積の6割(各3割)のシェアをとることが想定され、翌平成5年には本格作付けをスタートすることに。
「両品種とも食味が優れており、実際、特Aの評価を得ています(平成6年)。しかしデビューしたばかりなので、実際に栽培してみないと分からない面もありました。そのため、適地適作を図り、品質重視の栽培に切り替える強力な米づくり運動を展開し、ササニシキ、はなの舞に加え、新品種の2本の矢で米どころ・山形県の立て直しを図ったのです」と、結城場長は語っている。
 その年の作付面積は、既存のササニシキ3万9090haに対し、はえぬきは1万6515ha、どまんなかは9516haと(当時の山形県全体の水稲作付面積は8万5314ha)、上々のスタートを切ったのである。
 しかし山形米の立て直し計画は、初年度から挫折を味わうことになる。この年、再び大冷害が東北地方を襲ったのである。しかも、昭和55年の東北大冷害以上という激しいもの。この未曽有の冷害に対して、はえぬきは耐冷性の強さを証明してみせたが、逆にどまんなかは耐冷性の弱さを露呈することになった。
 中山間部のどまんなか生産者の作柄は、軒並み低下。「これでは安心して作れない」という声が強くなった。初年度にして、2本の矢のうち1本が折れてしまったのである。
 そのため、平成9年にはあきたこまち、ひとめぼれ、晩生のコシヒカリなど他県が育種した品種を奨励品種として採用。内陸地域の主力品種として期待されたどまんなかのシェアは、どんどん分散されていった。

はえぬきを立毛調査している光景
そんな中、はえぬきの方は作付面積を広げ、平成7年にはササニシキ1万5875haに対し、3万885haと、遂に、ササニシキを超えて見せたのである。庄内においては、ササニシキは終焉の時を迎え、「それに代りはえぬきが山形米のエースとして君臨する」……そんな期待を、生産者はじめ県の米関係者は抱いたのだが……。
 はえぬきは、人によってはコシヒカリを超えたと評価する食味、倒伏や病気に負けない安定収量と、絶対的な品質の高さを持ち、山形県では「ユメのコメ」と謳われ、次代のエースとしての資格を十分持っていたといってよい。特に食味に関しては、デビュー以来21年連続で特Aを獲得しており、その記録は現在も更新中。業界でも認める食味と品質の安定性をもつ優秀な品種である。しかし、シナリオ(ブランド戦略)通りには、ことは進まなかった。
 県内での作付面積こそ伸びたが、認知度は上がらず、県外の家庭米市場ではブレイクすることはなかったのである。良食味米としての評価は高いが、ほとんどがコンビニなどの業務用市場に回り、価格自体も低迷することに。
 
山形農総研水田農試
 はえぬきが、全国ブランド米になれなかった理由を、結城場長は次のように説明している。
「一つは、品種構成。東北・北陸の他県の主力品種のように、1品種で県内シェアの半分を超えるようなことは想定しませんでした。1本に絞らない、適地適作で2品種同時デビューの戦略は、産地イメージの強化をねらったものでした。しかし、逆に力が2分され、山形米=はえぬきというストレートな構図ができなかったのです。しかも、2本の矢のうちの1本が早々に折れてしまったのですから……。さらに、県ブランドとして磨きをかけた方がいいという判断で、当初、種苗を他県に供給しなかったことも、認知度アップを阻害した要因の一つでしょうね。コシヒカリをはじめ、あきたこまち、ひとめぼれなどは、全国的に種苗を供給したので、全体量が増え、その銘柄自体の認知度が上りました。後発のはえぬきは戦略として、この〝数の論理〟を展開できなかったのです。そして最大の要因は、やはりササニシキへの依存が強かったため、デビューに後れを取ったこと。すでに陳列される棚さえない状態だったのです」
 

 庄内地域がササニシキの作付を拡大した時期に、内陸地域がキヨニシキにこだわり、県として一枚岩にならなかったことが、山形米というイメージの構築を妨げたという経験をしたのに、なぜ、また2本の矢でいこうとしたのか? もちろん、平野部と盆地や中山間地では気象条件、土壌の違いなどもあるが、新潟コシヒカリを考えると、その条件を克服することも、可能だったのではないか? など、その戦略自体に、疑問が残る。そしてそれは、少なからず「数の論理」にも影響を及ぼしたはずだ。
 いずれにしろ、新品種のブランド戦略は、庄内地域、内陸地域の垣根を取り払い、山形県として一丸となって取り組まなければ、成功しないという貴重な経験をしたのである。

山形97号(つや姫)は主力品種になれない運命にあった

 山形の米関係者にとっては「ユメのコメ」だったはえぬきが、全国ブランド米になりきれず、消費市場で高い評価を得る狙いは「ユメ」に終わったという結果は、新品種のデビューを待ち望む声の高まりに拍車をかけた。
 はえぬきででき上がってしまった単価が安い、認知度が低いというイメージを払拭し、失われつつある「米どころ山形」のイメージの早期回復が急務となったのである。 しかし、育種を担当していた山形県農業総合研究センター・水田農業試験場では、皮肉にもはえぬきが大きな壁となって立ちふさがっていたである。この頃から育種を担当するようになっていた結城場長は、日々その問題に苦悶していた。
「食味に関していえば、はえぬきはコシヒカリを圧倒するまでには至らなかったが、同等それ以上の評価を得ていました。また、栽培しやすいという抜群の長所もあったので〝これだ!〟と自信を持っていえるものが、なかなか育成されなかったのです。のちにつや姫になる山形97号の人工交配は、平成10年に始まっています。番号をみても分かる通り、はえぬきは45号なので、その間、50種強の品種を育成していたことになります」
 その彼が、山形97号に対し、「これならいける!」と手ごたえを感じたのは、平成17年のこと。



山形97号(つや姫)、コシヒカリ
その判断で、いちばん重視されたのは食味だったという。山形97号は、ともにコシヒカリ系の母・山形70号と父・東北164号を交配して育成したもの。登熟も良い多収の晩生で、短稈だったため耐倒伏性が強かったが、とりわけ特徴的だったのが、食味の良さだったのである。
 その手応えを、さらに確実なものにするため、水稲奨励品種決定調査が、平成17~20年まで4年間に渡ってじっくり時間を掛けて行なわれた。
 これと並行して行われたのが、官民一体となったブランド化戦略会議。マーケティングの専門家などを交えたネーミングの検討、県内で作付けされていた晩生のコシヒカリとの実証比較試験、栽培のためのマニュアル作りなどが行なわれた。
 
つや姫ブランド化戦略推進本部会議
 ここで調査や会議(プロジェクト)で確認された中で、いちばん重要だったのは、「デビューする山形97号は、晩生種であり、刈取りが遅いため本県では栽培リスクが高く、ササニシキ、はえぬきのような作付面積拡大は望めない運命にある。あくまでも山形米のイメージのけん引役である」ということだったと、結城場長は語っている。
 そのため、数の論理からすればロット不足が見えているので、はえぬきと同じ轍を踏まないように、奨励品種に採用してもらうため、平成17年から他県への働きかけが行なわれた。
 そして平成22年に、山形97号はつや姫としてデビューを飾ったのである。
 

デビューに向けたつや姫(山形97号)

 
 

厳しい栽培・出荷基準で管理し、トップブランドを目指すつや姫

 つや姫は、コシヒカリと同様に晩生種なので、山形以南であればどこでも作付けすることが可能。他県での栽培を促すことで、ブランドとしてのすそ野を広げ、全体でつや姫のイメージ、そして認知度を上げていくという戦略をとった。
「全国各地で作られているつや姫は、美味しいお米である――その中でも、いちばん美味しいのは山形県産つや姫だ」という構図だ。コシヒカリと南魚沼産コシヒカリの関係を思い浮かべれば分かりやすいかもしれない。
 ただし、つや姫のブランド戦略で最終目標としているのは、「日本一美味しいお米」つまりトップブランド米になること。そのために、以下のような厳しい栽培・出荷基準を設けることになった。

つや姫、はえぬき
1.栽培適地の限定
2.生産者の認定制度(水田経営面積が3ha以上、もしくは市町村平均の2倍以上)
3.有機栽培と特別栽培に限定(第三者認定による)
4.出荷基準:一等または二等米、玄米粗タンパク質含有率6.4%以下
 県内では、毎年つや姫の生産者募集が行われ、上記の基準の他に面積要件などがプラスされ、認定されてはじめて生産ができるというシステムがとられている。それでも、平成22年に2466haだった作付面積は、平成27年には7711ha(県全体の水稲作付面積は約6万5000ha)に増えたのである。
 

 それに加え、宮城、島根、大分、長崎、宮崎の5県で奨励品種に採用された。しかし、有機栽培や特別栽培を他県に対しても求めたため、他県の関係者からは取組みにくいという声が上がっているのも確かである。
 こうした徹底したブランド戦略を展開していくにあたっては、平成20年に庄内地域と内陸地域で分かれていた経済連や全農が一つになったことも、追い風になっている。また、デビューにあたっては、県知事が自らポスターに登場するなど、行政の「山形米の立て直し」へ本気度も見てとれるのだ。

つや姫の販売には県知事も登場
「さらにブランドとしての認知度を上げるためには、もっと多くの県での栽培が必要。そのため、現在、コシヒカリやキヌヒカリ中心に栽培している県に狙いを定め、奨励品種として採用してもらえるようにアプローチをしています。しかし、まだ道は半ばといったところでしょうか」
 山形県内で、つや姫の作付面積が県全体の10%を超え、さらに増えている状況に手ごたえを感じているのか、結城場長の顔には笑顔すら浮かんでいた。そして、新たな品種育成への意気込みを語っている。
 
コンバインによる収穫風景(山形112号)
「野球でいえば、トップブランド米を目指すつや姫は本県の、現在の投手ならエース、打者なら4番、値ごろ感があり、業務用として根強いはえぬきは、かつてのエース、あるいは4番、いま、取組んでいるのは投手力や攻撃力に厚みを持たせるための、中生の晩種の新品種を育て上げることです。その候補として想定しているのが、山形112号。すでに導入検討委員会が立ち上がり、ブランド戦略の検討に入っています。米政策が変わる平成30年を目途に、デビューさせたいと思っていますが……」
 つや姫に続く高級良食味米という位置づけになるというが、どんな食味の米で、どんなブランド戦略がなされるか、今から楽しみである。
 

【文中敬称略】

画像提供:山形県農林水産部県産米ブランド推進課、山形県農業総合研究センター水田農業試験場、JA全農山形