「すいません、『ゆめぴりか』って何ですか?」このCMのフレーズを記憶にする人は多いだろう。

かつて「ヤッカイドウ米」と道外だけでなく、道内からも揶揄された北海道米。2011年、「ゆめぴりか」は、北海道産の高級ブランド米として本格販売をスタートさせた。冒頭のCMフレーズは、2011年からのテレビCMで使用されたもの。

現在、米の収穫量では新潟県と日本一を競い、優良米の評価を得た北海道米であるが、その稲作の歴史は、厳しい寒さとの闘いであった。

 

北海道米の発祥

 



話は遡る。

北海道の稲作の記録としては、元禄5年(1692年)、吉田作右衛門が、現在の道南地方北斗市で開田をした記録が残っている。その後、松前藩による開田事業が行なわれたが、あくまでも道南地方にかぎられたものだった。

明治2年(1869年)に設置された北海道開拓使の農業育成方針では、アメリカ型の大規模な畑作、畜産を中心とし、稲作は北海道に向かないとして禁止さえしている。道南以外での稲作に向かないと政府が判断を下したのだ。

しかし、明治4年(1871年)、42歳のときに、単身で、大阪から現在の北広島市に移住してきた中山久蔵は、道央での稲作に情熱を燃やし、松前藩時代から道南地方で栽培されていた耐冷品種である「赤毛」を持ち帰り、作付けに挑んだ。

風呂の湯をくんで苗代に入れたり、島松川からひいた水を日光であたためてから水田に引くなどの工夫を重ね、明治6年(1873年)には、10アールの水田から6俵弱(345kg)の収穫に成功する。

これが本格的な北海道の稲作の歴史の始まりである。








 


 




久蔵は、自ら生産するだけでなく、安定的な生産に向けて品種や栽培方法の研究を続け、改良した種子を開拓者に配付。作付け指導も行い、稲作を北海道内に広げていった。このため、かれは、「北海道稲作の父」と呼ばれている。その後、品種改良や生産技術の進歩によってオホーツク地域での栽培も可能になり、北海道全域に生産が拡大。戦後の機械化もあり、昭和44年(1969年)には、北海道の作付面積は266,200haと、日本一までになった。

しかし、米の需要が、昭和37年(1962年)をピークに減少に向かったことから、昭和45年、政府は「生産調整」による減産政策を実施。増産から減産へ政策転換を図った。その結果、稲作農家の離農が相次ぎ、北海道米の作付面積は、昭和48年(1973年)には145,300haにまで落ち込んだ(平成25年は112,000ha)。

その大きな原因は、米の質にあった。美味しくない、売れないという厳しい評価が下され、「ヤッカイドウ米」と揶揄された。昭和44年に実施された「自主流通制度」からも、青森米とともに除外されるほどだった。









 


「寒冷地稲作この地に始まる」の碑。中山が取扱人を務めた、旧島松駅逓所の敷地内に建てられ、その功績を讃えられている。
(写真提供:北広島市)




生産者の一人・東廣明(現「北海道米の新たなブランド形成協議会」会長)は当時を振り返って、次のように語っている。

「良質米を作るという強い意志を持って、米どころの東北に視察に行ったのですが、受け入れ先に、北海道からきたことを伝えると、〝北海道でなにができるのか〟と頭からバカにされました」

ここまで減少した北海道であるが、全国1位の新潟県119,700haに次ぐ、大稲作生産地であることに変わりはない。しかも、広大な大地に恵まれた潜在的な生産力は「推して知るべし」だ。あとは、良質の米さえあれば……。生産者を含めた、稲作関係者の思いは、そこに集中していた。



 

「ヤッカイドウ米」から「きらら397」へ



昭和55年(1980年)、新たにスタートした「特別自主流通米制度」では、青森米とともに、自主流通米と同じように品種銘柄による販売が可能となった。

それを受け、北海道庁では長年の夢となっていた「優良米」作りに向け、「早期開発試験プロジェクト」を設置。おいしい北海道米を目指した品種改良への取り組みを本格化させた。

その結果、昭和63年(1988年)、「きらら397」が誕生した。試験栽培から関与していた生産者の東は、「過去にない食味であり、この米ならば本州と戦える」と感じたという。

実際に登場すると、パッケージの愛らしいイラストの効果もあり、従来の北海道米のイメージを覆し、大ヒットとなった。

この流れは、「ほしのゆめ」(平成8年、1996年)、「ななつぼし」(平成13年、2001年)の登場へと繋がっていった。「きらら397」は粒が硬めのしっかりタイプ。「ほしのゆめ」はあっさりタイプ。

そして「ななつぼし」は、そのやわらかい食感、つや、ねばり、甘みは、他府県の有名品種並みの味わいとの評価を得、人気とともに作付面積は増加した。

現在、道内で最も多い作付面積(45%)の品種となっている。加えて、「ななつぼし」は、平成22年(2010年)、北海道米では初めて、食味の最高ランク「特A」の評価を得て、その実力を示した。

 



しかし、「きらら397」のヒット以降、順風満帆だったわけではない。新たな課題が顕在化した。それが品質・食味のバラツキだ。北海道は広大であり、各地の気象環境も異なるため、同じ「きらら397」であっても、品質の均一化が非常に困難であった。そこで、全道の農協組織は、2つの対策を実施する。

ひとつは、荷受、乾燥、調製を広域集出荷施設で行うことで品質のバラツキを抑えることだ。生産者、農協の枠組みを超え、北海道大学とメーカーとも連携し、平成8年(1996年)、15農協とホクレンの共同出資で上川ライスターミナル㈱が設立され、品質安定の基礎を作った。現在、道内には21のカントリーエレベーター(穀物の貯蔵施設の一種)が設立されている。

もうひとつは、タンパク質の含有率による米の仕分け集荷だ。府県産米と異なり、広大な土地の北海道では、各地の土壌状態は異なり、厳しい気象条件も重なるため、食味に影響するタンパク質の含有率が安定しない。そのため、生産された米をタンパク質の含有率で仕分けし、食味のバラツキを抑えるのである。

これらの取り組みも一朝一夕で成し得るものではなかった。厳しい環境の北海道であったからこそ必要であった取り組みであり、そして、このことが、その後の府県産米に負けない北海道米生産への取り組みへと繋がっていった。(文中:敬称略)


                                           ー次号「後編」につづくー


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