西の横綱・ヒノヒカリの次代を担ったお米たち(後編)~福岡県元気つくし誕生秘話~

 平成元年のデビュー以来、10年間でその作付面積をいっきに70倍以上に伸ばし、西の横綱と呼ばれているヒノヒカリ。現在でも、西日本を中心に様々な地域で作付けされているのも確か。しかし、あまりにも急速に普及が進んでしまったため、九州の一部などではいろいろな弊害が出てきている。それに対応するため、九州各県では次代をにらんだ品種の育成を進めたり、新たな奨励品種の選定を迫られたりしていたのである。
 今回は、ヒノヒカリの後継をめぐる福岡県の取り組みを紹介していく。

県単独品種の育成要望が、いっきに高まってきた!

 長崎県では、九州沖縄農業研究センターで育種されたにこまるを奨励品種に選定し、農業関係者が一丸となって、ヒノヒカリに代る県の主要品種として育て上げていったことは、前号で紹介した通りである。これに対し福岡県の場合、同様にヒノヒカリに代る主要品種の育成を目指していたが、その環境はまったく異なったものだった。


福岡県農林業総合試験場の外観

 古代に始まった日本の米づくりは九州から始まり、東へと広がったといわれ、福岡県は「米文化の発祥の地」ともいわれている。その福岡県においては、水稲の品種開発の歴史も古い。『福岡県農業総合試験場百年史』によれば、1912年(明治45)には交雑育種法による育種が県によって始められ、1941年(昭和16)までの間に、宮神力、大場都、筑紫、住吉という4品種が育成された記録が残っている。福岡県は国の研究機関でも珍しかった交雑育種に、明治時代より先進的に取り組んでいた土地柄なのである。

 しかし戦中~戦後しばらくの間は、県農試としての水稲品種の育成は行われることはなかった。その理由は定かではないが、戦後の県農試は、既存品種の多収、増産のための技術開発に集中することになり、品種育成へと力を注ぐ余裕すらなかったことが容易に想像できる。

 

福岡県農林業総合試験場 馬場部長
 1969年(昭和44)、米の生産調整が実施されると、全国的には多収品種に代り、良食味品種の普及が加速していく。しかし福岡県では、1980年代に入っても主要な作付品種は、ニシホマレ、レイホウに代表される多収品種。そのため、当時の米市場において福岡県産米の評価は低かったといわざるを得ない。
 転機となったのが、ゆきあかり(北海道・1984年)、あきたこまち(秋田県・1984年)といった地域独自の良食味品種のデビューであった。それらの評価が上るにつれ、福岡県の農業関係者からは、県単独品種の育成の必要性が叫ばれるようになっていく。そして1988年(昭和63)に、再び水稲の育種事業が開始されることとなったのである。
「県農試では昭和41年から農水省のビール大麦育種の指定試験事業を行っていました。このため、育種に必要なノウハウがあったので、再開できたのではないでしょうか」
 と、福岡県農林業総合試験場/馬場孝秀農産部長は、当時の状況について語っている。
同時期には、奇しくも宮崎県総農試でヒノヒカリの育種が最終段階を迎えており、1990年(平成2)には品種登録がなされ、福岡県でも奨励品種に指定されたのである。
 

年に3回の世代交代をさせる荒技を使わなくてはならなかった状況だった

 福岡県でも、良食味米・ヒノヒカリの評価は高く、それまでのニシホマレ、レイホウに代り、想像を超える勢いで作付面積を広げていくことに。そんな中で行なわれていた県単独育種事業。担当者へのプレッシャーはいかばかりのものだったかは、想像に難くない。
 新品種の最重点目標は、良食味。それを達成するために、1988年から有望系統の選抜と形質固定が急ピッチで進められていくことになった。食味官能試験では、食糧庁による方法を改良、より効率的な評価法を開発し、選抜の効率化を図った。また中期世代においても、オートアナライザーを用いたアミロース含有率の測定を行うなど、当時の最新技術を駆使し、効率的に良食味系統を選抜していったのである。効率にこだわったのには、理由があった。


夢つくし 試験田における田植え風景
「地元農家から、競争力の低下を招かないためにも、地域独自の品種が早急に欲しいといわれていましたから……。育成を急がないわけにはいかないという状況だったのです」と馬場部長は説明している。どうしても効率化が必要だったというわけだ。
 そしてこのプロジェクトで育成されたのが、キヌヒカリとコシヒカリの交配から生まれた夢つくし。1988年に育種をスタートし、1993年に品種登録出願されている。通常は、品種になるまでは、10~12年掛かるのだが、それがわずか5年で行なわれている。日本の水稲品種育成としては最短のようだ。
「選抜を繰り返し、形質を固定し、品種として世に出すためには、10世代以上経なければなりません。夢つくしの場合は、温室を活用し、2回の世代促進をし、さらに同じ年にその苗を石垣島に持ち込み、さらに1世代進めるという作業までしました」
 馬場部長は、その作業の困難性と、当時の担当者の勇気を語っている。
 
 そしてデビューを迎えることとなった夢つくしだが、前述したようにまず評価の基準となったのが食味。福岡県産コシヒカリと同様の極早生品種であったため、コシヒカリと同等、それ以上の良食味であることが条件として求められたのである。

 結果として評価は上々だった。食味ランキングで特Aこそ獲得しなかったものの、福岡県産コシヒカリを超える食味と評価を得たのだ。また、キヌヒカリの栽培のしやすさを受け継ぐとともに、倒伏しやすかったコシヒカリの欠点をも補っていた。そのため、1994年に一般栽培が開始されると、瞬く間に作付面積を伸ばしていくことに。そして、同じように普及が進んだ中生のヒノヒカリが平坦部、夢つくしが平坦部~中山間部での作付け、というようにしっかりとした棲み分けがなされていったのである。
 また、夢つくしは学校給食にも導入され、「福岡県といえば、夢つくし」と誰もが口を揃えていうブランド米として定着していく。そして2014年(平成26)には、遂に西の横綱といわれたヒノヒカリを逆転する作付面積を有するまでに成長。平成27年には福岡県の全作付面積の約40%(ヒノヒカリは約35%)までに拡大している。

1等米の比率が50%を切ることが常態化する事態に!


元気つくし 試験田における風景
 ヒノヒカリと夢つくしという両軸を得た福岡県であったが、夢つくしのデビューからわずか10年で、新たな問題に直面することになってしまう。それが、2003年(平成15)頃から見られるようになった、高温障害による玄米の外観品質の低下だ。主力品種になったヒノヒカリ、夢つくしともに白未熟米ができ、1等米比率が下がり、50%を切ることが常態化してしまったのである。
 これに対し、地元農家をはじめとする農業関係者からは「県産米の外観品質の向上、地球温暖化にも対応できる新品種の育成」が求められだしたのである。
 夢つくしの成功で、福岡県農総試の品種育成が止っていたわけではなかった。夢つくし以上の良食味をもつ品種が育成できないかなど、日々試行錯誤を繰り返していた。1998年(平成10)には、のちに元気つくしとなるちくし46号(つくしろまん)とつくし早生の交配もスタートしていたのである。
「スタート当時、高温の問題は出てなかったので、食味に関してさらなる追及を行って選抜を繰り返し、ある程度のものができていました。そこに高温化問題。正直どうしたらよいか担当者が苦悩したことが容易に想像できます」と、馬場部長は語る。高温登熟の問題は、ただ世代を回しているだけでは、解決できない問題だったからである。 

水稲高温耐性評価施設
 そのため福岡県農総試では、高温問題を解決する目的で、2005年(平成17)に日本で2番目となる「水稲高温耐性評価施設」を建設するという積極策をとることに。そして、良食味であることはもちろん、高温耐性も重点目標にした品種育成をスタートさせたのだ。
 この施設で、毎年約300系統の稲を栽培。35℃の温水を掛け流す高温処理を行い、収穫した玄米を調査。白未熟米の歩合を指標に、高温耐性のある品種の選抜を繰り返していった。
「この中に、すでに良食味米として期待を持っていたちくし64号(元気つくし)が入っていたのです。父にあたるつくし早生は高温にも強く、品質も良かったことが、最終的に元気つくしが生まれることにつながったのだと思います」
 もしこの時期、高温問題が起こっていなかったら、元気つくしは単なる新しい良食味米の候補として名前が上るだけで、脚光を浴びることもなかったかもしれない。父・つくし早生から受け継いだ高温耐性があったからこそ、元気つくしは最終的に品種登録されたともいえるのだ。
 また、夢つくしのケースとは違い、温室を使ったのは1回だけ。10年間かけてじっくりF11までの世代交代を行なったことも、良い方向に働いたといっても過言ではない。 

まさに名前の由来通り、夏の暑さにも負けなかった元気つくし


福岡県元気つくし 米袋
 ちくし64号は、2008年(平成20)に元気つくしとして品種登録出願され、翌年から一般栽培が開始されている。品種名の「元気つくし」には、夏の暑さにも負けず元気に育つこと、また食べる人にも元気を与える美味しいお米であるこという意味が込められていた。元気つくしの特性は、極早生の夢つくしと中生のヒノヒカリの間にあたる早生。ヒノヒカリと比較して、稈は若干短く、耐倒伏性はヒノヒカリ並みであるものの、高温に強く、食味もすこぶる良い品種という評価を得ている。特に食味は、元気つくしに「炊きたてうまい!」、「冷めてもうまい!」、「春夏秋冬いつでもうまい!」というキャッチコピーが使われているように、ごはんの一粒一粒がしっかりしていて、食味が安定していると評判となった。
 そして一般作付けから2年目。2010年は、全国的に記録的な猛暑に襲われ、元気つくしの出穂後20日間にあたる8月下旬~9月上旬の平均気温は29℃を超えた。このような条件下において、ヒノヒカリなど他の品種の1等米比率が、軒並み15%を切る中でも、元気つくしは、90%を確保。まさに名前の通り「暑い夏にも元気!」という本領を発揮したのである。さらに、2011~14年産の元気つくしは、食味ランキングで特Aを獲得。元気を与える美味しいお米であることも証明してみせたのだ。
 そのため2012年に、3,790ha(水稲作付面積の約10%)で栽培面積を広げ、その後も、徐々に作付面積を拡大し、2015年(平成27年)には6,030ha(水稲作付面積の約17%)を占めるまでに。そして現在も、さらなる拡大が見込まれている。
 しかし、元気つくしの普及・拡大は、野放図に行なわれているわけではない。また、販売戦略においても、夢つくしブランドをないがしろにしているわけでもない。夢つくしは、すでに県オリジナル銘柄として確固たる市場形成がなされているため、それを壊すことなく、元気つくしの方は、他県産良食味品種からの切り替え需要をターゲットに据え、消費拡大を図るという共存策がとられた。



 

収穫期前の「元気つくし」稲穂 
 また、家庭用精米の使用原料を1等米のみに限定し、高品質を売りにした「めし丸元気つくし」を作るなど、ブランドを周知させるための販促活動も余念なく行われることに。
 しかし、このような元気つくしのブランド化を進めるにあたって、基本となったのが生産面での収量・品質の安定化だった。どこで生産しても、ぶれない栽培体系の確立こそが大切な要素だったのである。そのため、県行政とともに、普及指導センターやJAが一体となった技術指導をはじめ、JAふくれん傘下の「めし丸元気つくし研究会」などを組織し、今も地域に合った栽培技術の確立にも取り組んでいる。
 このような状況をみても、まだまだ元気つくしは、発展途上の新品種といってよい。今は県単育成品種のため、福岡県以外での普及が認められていないが、県内でのブランド周知が一段落したあと、他県への普及などがあるのかなども含め、今まさに、注目しておきたいブランドといえるのだ。


 

西の横綱と呼ばれた時代から、地域に適した育種が望まれる時代に。


食味試験を実施している光景
 福岡県の「夢」と「元気」を育成した福岡県農総試。しかし、まだまだ育成の課題は多く残されているといってよい。元気つくしは登場したが、現在の主力品種である夢つくし(極早生)、ヒノヒカリ(中生)はいずれも高温耐性を有していないという事実は変わらない。また、地域によって一品種の作付け集中は、刈り遅れによる品質低下を招く原因にもなりかねない。
 このため、極早生&中生で、高温耐性が高く、食味も優れている品種の育成を望む声も多く上っているのも事実。
「もちろん、育種が停滞しているわけではありません。次の品種の育成を進めています。今は当然、重点目標は良食味であり、高温耐性のものということになりますね。しかし、地元農家の状況を把握しながら、育種は慎重に行っていかなくてはならない――それに応えていくことこそが、我々の仕事ですから。いろいろな交配を行い、その準備はできていますが……」
 

 

試験場における田園風景
 馬場部長は、言葉を選びながら慎重に、次の育種目標について語っている。
 その慎重さは、地球温暖化などといった自然環境の変化だけでなく、TPPなどの政治的な問題によっても、育種目標を変えざるを得ない事態が起こりうることを示唆していた。外国産米との競争力をUPするため、例えば良食味と低コスト生産を兼ね備えた品種を求められることもありうるからだ。

「現場あっての仕事。我々が薦める品種が、今の地元の農業にそぐわないのであれば、育種目標が達成されたとはいえませんから……」
 ヒノヒカリという西の横綱と呼ばれた品種は、九州の米づくりに多大な貢献をしたのは確かである。しかしこれからは、九州という広い範囲ではなく、もっと細分化された地域の状況に適した品種の育成が望まれる時代なのかもしれない。
 

*文中敬称略、画像提供:福岡県農林業総合試験