福島県の最新米事情秘話 福島県産米を襲った未曽有の災害と天のつぶ、新ブランド米に託された未来とは!?

福島県は、平成23年に起こった東日本大震災、それに伴う原発事故の影響で、米づくりに関しても、甚大な被害を受けている。天のつぶは、福島県のブランド米として華々しいデビューを飾った翌年に、この災害に遭遇したのである。
しかし生産者や県の育種担当者は、この逆境にも負けることなく、美味しい米の生産で知られた米どころ・福島の復活を目指している。福島の米づくりにこそ、真の原発事故からの復興のヒントが隠されているといってもよい。

期待を一身に集めて登場したふくみらいであったが……

新潟や秋田をはじめ、日本各地に「米どころ」といわれるところがあるが、福島県もその一つである。福島県は、山脈の尾根を境界とした3つの地域に分けることができる。太平洋沿岸部と阿武隈高地に挟まれた「浜通り地方」、奥羽山脈と阿武隈高地に挟まれた「中通り地方」、そして新潟県と隣接する越後山脈と奥羽山脈に挟まれた「会津地方」である。
 その3つの地域の中でも、会津地方で生産されるコシヒカリは、新潟県の魚沼地区と隣接し、美味しい米が育つ条件に恵まれており、日本穀物検定協会の米の食味ランキングで最高級のブランド米「魚沼産コシヒカリ」と同じ最高評価である「特Aランク」を数多く獲得している


福島県農業総合センター(外観)
 また、県内には他にも多くの良質・良食味米の生産地がある。福島県浜通り地方もそのひとつで、相馬市の生産農家が作ったコシヒカリも、「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」で金賞を獲得するなど、高い評価を受けている。気候や土壌が地域により大きく異なる状況下にあって、それぞれの地域の生産者が、切磋琢磨して良質米の生産地としての評価を築き上げているのである。
 福島県農業試験場で水稲の育種が始まったのは、平成元年のこと。その後、平成18年に農業試験場、果樹試験場、たばこ試験場、畜産試験場、養鶏試験場の試験研究機関と、農業短期大学校及び病害虫防除所、肥飼料検査所が再編統合され、福島県農業総合センターが発足し、その業務が引き継がれた。水稲の育種に関しての歴史は浅く、東北6県の中では、一番最後に水稲の育種事業に参入した。
「水稲育種が始まった当時は、自主流通米が拡大し、産地間競争が激しくなっていた時代。それを乗り切るためにも福島県でも、県オリジナル品種の育成が強く望まれていました」
 こう福島県農業総合センター・作物園芸部の三浦吉則副部長は語っている。そして、育種の目標に挙げられたのが、良食味や多収、耐倒伏性、耐冷性、いもち病などの耐病性などで、食味としては「コシヒカリ」を基準となった。 

福島県農業総合センター 三浦吉則副部長
その中で、平成3年に交配が行なわれ、平成13年に県の奨励品種となったのが、ふくみらいである。漢字で書くと「福未来」となり、「福島の未来を担うお米になって欲しい」「幸福な未来をもたらして欲しい」という思いが込められ、命名された。
 これは、中部82号を母、チヨニシキを父として掛け合わせが行われ、10年を掛けて選抜、育成されたもの。優れた耐冷性を持ち、いもち病に強くかつ倒れにくいという特徴から、米の安定的な生産と品質向上が期待されてのデビューであった。
 県内の平坦部、山間部を中心に作付けされることになり、初の県オリジナル品種として、期待が大きかったのである。
 確かに耐病性、耐倒伏性、耐冷性に優れた品種であり、収量も多かったが、実際に収穫してみると、堅めに炊きあがる炊飯特性への理解が十分でなかったこともあり、その食味の評価は芳しいとはいえなかった。
「県の米として期待をもっていたが、食味だけでなく、白未熟米が出るなど品質も不安定で、自然消滅してしまったね」と相馬市の生産農家であり、JAふくしま未来/そうま地区稲作部会部会長である佐藤保彦さんは、当時の状況を語っている。
 もちろん、一度の失敗があったからといって、育種が中断されることはなかった。逆に時代の要請もあり、県独自の良食味米品種を望む声がさらに高まっていったのである。



 

なんと15年の歳月が掛かった天のつぶの育種


天のつぶ、ひとめぼれ、コシヒカリの稲穂
 そんな状況の中、育成が進んでいったのが、奥羽357号を母、越南159号を父に交配された福島9号――のちの天のつぶであった。奥羽357号はコシヒカリ、ひとめぼれから引き継いだ良食味の系統であり、越南159号はキヌヒカリの血を引き、短稈で耐倒伏性に優れているという特徴を持っていた。
 交配が始まったのは、平成7年のこと。個体選抜は順調に進み、平成13年に「福島9号」という系統番号が付与され、平成13〜17年に農業試験場において、奨励品種決定基本調査及び現地調査が行われ、良食味で品質が安定しているとの評価を得た。そして、翌年から富岡町をはじめとした複数箇所で、現地適応性試験が実施されることに。
 最終的に県の奨励品種に決定されたのは、平成22年であるから、デビューまでなんと15年の歳月が掛かったことになる。
「すでに、ひとめぼれやコシヒカリが主力品種として作付けされている中で、県として奨励品種として薦めることが可能なのか? 市場に出した時、主食米として一定の評価を得られるのか?という議論もありました。そのため、実際に炊いたお米で、繰り返し食味官能試験などが行なわれました。ふくみらいが広がらなかったこともあったので、評価に時間を掛けたのです」
 当時の状況を思い浮かべるように、三浦副部長は語っている。












 

福島県産天のつぶ 米袋
 現地適応性試験でもある程度の評価を得た福島9号は、「穂が出るときに天に向かってまっすぐ伸びる稲の力強さと、天の恵みを受けて豊かに実るひと粒一粒のお米」をイメージして、天のつぶと命名された。
 当時福島県では、コシヒカリが約6割、ひとめぼれが約2割、その他、チヨニシキ、あきたこまちなどが作付けされていたが、天のつぶに関しては、最終的には県内でも標高300m以下の平坦部、特に浜通りを中心に作付けを推進していくことに。
 浜通り地方は、やませ(夏季に北日本の太平洋側に吹走する冷湿な北東風)の影響を受けやすいことから、コシヒカリよりも早い品種として、天のつぶは期待されたのである。
そして初年度の平成22年には、わずか0.9haでのスタートであったが、翌23年が60ha、平成27年には7000haという作付面積の推進目標が置かれることに。













目に見えない放射能との戦いが始まった日

 推進目標の全体図がはっきりしたことで、あとは平成23年度から、それに向って各所が協力して生産を増やしていこうという時、福島県を襲ったのが未曽有の受難――東日本大震災とそれに伴う原発事故だったのだ。
「あの時は春先で、すでに農家では種子を用意しており、いつ種まきを始めるかという時期でした。折しもその時期に起こった地震、津波、そして原発事故。まず私たちが行なったのは、県内の農耕地土壌の調査――放射能汚染度合の確認でした。津波被害などにあっていない水田でも種まきを待ってもらい、作付けできるかの確認に追われました。この時から始まったのが、目に見えない放射能との戦いだったのです」


津波の被害を受けた圃場
 今だからこそ、冷静な口調で語る三浦副部長であるが、当時の混乱ぶりや不安感に苛まれた日々を送ったことは、想像に難くない。また、それは相馬市の生産農家である佐藤さんも同じ――いや、もっと切実な問題だったに違いない。彼は当時を次のように振り返っている。
「電力関係の知っている人などからの情報収集に奔走しました。原発から半径50km、あるいは80kmが避難対象になるなど、さまざまな噂が飛び交いましたからね。最終的に避難地域は半径30km、相馬に関しては作付け可能という指示が出て、ホッと、胸をなで下ろしたものです」
 そしてコシヒカリ、天のつぶの作付けの開始は、原発事故の影響で例年より約3週間遅れたという。それでも、稲たちはすくすくと育ち、実りの秋を迎えた。そして、そこに待っていたのは、思わぬ試練だったのである。



 

風評被害は依然として続いている!


全量・全袋の放射能検査をしている光景
「原発事故があった福島の米など、子どもとか孫に食わせられるか!」というような、あたかも福島県産の米が、放射能汚染されているかのような風評被害が全国的に蔓延した。
 相馬郡の新地地区などでは、ほとんど例年と変わらぬ収量を上げたが、その生産農家たちは、風評被害をまともに受けることになったのである。
 それは、佐藤さんも例外ではなかった。生産された米は、農協を通して販売するほか、消費者個人と契約して販売されていたが、その年の個人契約は、例年の1/3程度にまで落ち込んでいった。
「お米を作れても、風評という問題が常に付きまとっていました。福島県では、県内で生産されたすべての米の放射性物質濃度を検査する全量全袋検査を実施しているので、安全性は確保されていると考えています。しかし〝危ないからやっているんだろう〟というイメージを持つ方もいらっしゃいます」と、三浦副部長が語っている。
 また佐藤さんは、「震災以降、JAふくしま未来(旧JAそうま)では東京で3回試食会を行っていますが、1年目は〝安全・安心〟を強調しました。すべて検査してあるので、いちばん安全なお米だと。でも、昨年は〝安全・安心〟という言葉を入れずに行いました。気になさる方が減ってはいますが、依然風評被害があるのは確か」と語る。
「目に見えない放射能が相手。県としては全域で全量・全袋検査を継続し安全・安心をデータで示していくことが重要です」と三浦さん。 


JAふくしま未来/そうま地区稲作部会 佐藤保彦氏

このような福島県産米に対する逆風が吹き続ける中、天のつぶは当初の推進目標(平成27年に7000ha)とまでいかないが、平成27年には県全体の6%にあたる3900haと、作付面積を広げてきている。

「天のつぶは、粒がしっかりしていていることから丼ものなどの中食・外食用のイメージが定着しつつありますが、タレントを使ったCMの効果などもあり、ここにきて(昨年)米穀卸売業者から主食米として欲しいという要望も上がってくるようになっています」と佐藤さん。
 相馬地区では天のつぶブランド協議会なども組織され、ひとめぼれから天のつぶへと作付け品種を変更する生産者も増えてきている。また、JA全農福島県本部では、「まずは品質を安定させる」ために、天のつぶ専用肥料の開発に着手している。
 そして今年5月には、天のつぶ1.9トン(5kg×380袋)が、イギリスへ輸出されるという明るいニュースも飛び込んできたのである。これなどは、逆風に負けずに県を中心に地道なPR活動を続けてきた成果といわざるを得ない。
 

原発事故からの復興は、米どころ・福島の復活で!

 原発事故による避難指示区域の解除が進む中、浜通り地方では水稲の作付け再開が徐々に進んでいる。その主力品種として計画されているのが天のつぶ。短稈で耐倒伏性に優れるため、生産者は安心して作付けを再開できるということが理由になっている。
 しかし、天のつぶに関していえば、窒素肥料の施用量による食味のバラツキが課題となっており、家庭用の米としてだけではなく中食・外食用に需要を伸ばすためにも、安定した品質、収量を維持することが望まれているといってよい。
 一方、つや姫や青天の霹靂など東北地方で新品種の発表が相次ぐ中、生産者から望まれているのが、コシヒカリを超える県独自の良食味米なのだ。実は、福島県では今年、中山間地域向けに里山のつぶという新品種がデビュー。平成29年から市場への流通が見込まれている。里山のつぶは、天のつぶ同様粒が大きく、歯応えや適度な粘りが特徴で、大釜で炊く外食などの業務用にも向く品種。玄米の品質は、あきたこまち同等かそれ以上の評価を得ているという。また耐寒冷性や耐病性に優れ、収量も多い特性を持っている。


天のつぶ 収穫期の稲刈風景
 しかし、これにしても外食などの業務用であり、生産者のコシヒカリの食味を超える主食用米というわけではないのだ。
「もちろん、コシヒカリを超える品種の育成は継続して取り組んでおりますが、他の東北地方の県と違い、福島県では高品質のコシヒカリを生産することができます。品種のバリエーションを増やすため、県オリジナルの天のつぶ、里山のつぶの2品種をうまく育て、推進することで福島ブランドの米づくりを進めていきたいと思っています。このほかにも、酒どころ・福島に相応しいオリジナルの酒造好適米の育種にも力を入れています。そして、原発からの復興のためにも、日本の食文化を代表するお米で、美味しいというものを生産することこそが、我々の使命だと思っています」
 と、三浦副部長が力強く語っている。確かに福島県の原発被害からの復興は、多様な米づくりによる「米どころ・福島」の復活をなくしては語れないといっていいのかもしれない。

 


*文中敬称略、画像提供:福島県農業総合センター、JAふくしま未来