おいでまい誕生秘話 土地が狭く、水環境にも恵まれないうどん県・香川で生まれ、四国で初めて特Aを獲得するまでの試練の道のり

米どころの東北はもちろん、北海道や九州から続々と新銘柄が世に送り出され、今や「ブランド米戦国時代」とでもいうべき様相を呈している。そんな中で、西日本一降雨量の少ないといわれている香川県は、約1万4000もある「ため池」が米づくりを支え、水環境だけを見るならば、米づくりの適地とはいい難い状況にあった。そのため、「香川県産米は食味ランキングではAが限界!」といわれてもいた。そんな厳しい環境の中で育種され、四国を代表する良食味米へと育ったのが、おいでまいなのである。

温暖化で品質低下が著しかった香川産ヒノヒカリ


香川県農業試験場の外観
 讃岐の国・香川県は、昔からうどん県として小麦の生産に力を入れていたわけではない。むしろ米づくりに力を入れていたことが、過去の文献などから汲み取れるのである。江戸時代の大坂では、堂島米会所の標準米として讃岐の米が選ばれるなど、評判が高かったと伝わっている。
 しかし、時代が下って現代は、香川県といえばうどんの印象が圧倒的で、米づくりというイメージは薄れていった。そして実際、さぬきの夢2000、さぬきの夢2009という、うどんの原料として旨みに定評のある、小麦のブランド品種を生み出しているのである。といっても、小麦の作付面積は約1600ha、県内のうどん用小麦粉の約5%を供給しているに過ぎない。一方、水稲の作付面積は、平成27年度で1万3900ha(主食用は1万3500ha)と約9倍。あくまでも農業従事者にとって米は、今でも欠くことのできない主要作物なのである。
 香川県農業試験場(香川農試)で、水稲の育種が始まったのは平成8年。小麦の育種が始まったのが平成3年なので、5年遅れのスタートであった。それまで香川農試では、奨励品種選抜試験などを行なうに留まっていたのである。 

試験田における「おいでまい」「ヒノヒカリ」
 香川県で育種が始まった平成8年頃は、日本に外国産米の輸入を義務づけるガット・ウルグアイ・ラウンドの合意(平成5年)、政府が米を買い上げる食糧管理法の廃止(平成7年)などで、米づくりを取り巻く環境は激変した時期。それに伴い、全国各地ではブランド米の育成が進み、新品種が次々に登場してきていた。
 当時の香川県を見ると、中山間部では早生のコシヒカリが主力品種であったが、平坦地では中生が主力品種として作付けされ、コガネマサリより良食味のヒノヒカリへと移行していった時期にあたる。ヒノヒカリは移行当初、何の問題もなかったが、数年経つと白く濁った粒(白未熟米)が見られるようになり、一等米比率も下がるという事態に。香川農試で早急にその原因を探っていくと……。
 品質低下は、温暖化に起因していることが明らかになった。また、そこには香川県ならではの事情も絡んでいたのである。平坦地の圃場で使われる水は、ため池の水。川から引いた水に比べ、「ぬるい水」だったのだ。そのため十分に圃場を冷やすことができないだけでなく、水を流す時期が決められているので、その年の気候に合わせ、田植えを早めたり、遅らせたりもできないという事情もあった。過去には、圃場に引く水を巡って生産者同士で殴り合いの喧嘩になったこともあったという。
 その対策として、肥料の入れ方での対処、田植え時期(水抜き時期)の見直しを図るなどの試験が行なわれたが、思い通りの結果を得ることはできなかった。そのため、農業関係者からは高温に強かったコガネマサリと同等の高温登熟耐性を持ち、かつヒノヒカリと同等の食味を持つ、香川県に適合した品種の育成を望む声が高くなっていったのである。




 

運命的な2粒による高いハードルだった育種目標への挑戦


「おいでまい」の系譜図
 戦後初となる水稲の育種の取り組みであったが、必要な設備もノウハウも充実してないところからのスタートだったといってよい。県によっては水稲育種担当だけで5~6人いるところもあったが、香川農試では、専任担当1名と小麦育種も見る兼任の上司1名という態勢。設備に関しては、すでに行なわれていた小麦の育種施設の一部を転用して、育種が始まったのである。
 のちにおいでまいになる北陸159号(あわみのり・北陸農試/早生で良食味。収量性が高い)と南海121号(ほほえみ・宮崎農試/早生で良食味、耐病性を持つ)の交配は、三木哲弘研究員が担当し、平成14年にスタート。三木がなぜ、あまりメジャーではない品種同士の交配に目を付けたのかは定かではないが、彼なりの成算があって交配だったことは、その結果が物語っているといってもよい。しかし、最初の交配によって得られたのは、わずか2粒の種子だけだったという。もし2粒のF1(雑種第一代)が実っていなければ……と考えれば、ある種、運命的な出会いだったともいえるのだ。 

試験田における「香系8号(おいでまい)」の稲
 この2品種の交配番号は186。水稲育種を始めてから約7年間で、香川農試では最低でも186に及ぶ交配が行なわれたことを示している。しかし、高温登熟耐性をもち、かつヒノヒカリと同等もしくはそれ以上の良食味という育種目標は、かなり高いハードルだったことが伺えるのである。
「香川農試では、交配して世代を進める中で、有望な組み合わせには香川の〝香〟をとり、香系○号という番号を付けています。交配186号は、香系では8号に。それまでに香系番号が付けられた1~7号の中では、6号がかなりの期待を集め、生産者の圃場での作付け(現地調査)までいったのですが、最終的には奨励品種指定にまでは至りませんでした。そんな状況の中、平成20年には8号だけでなく、ほほえみと北陸179号の交配から生まれた2系統にも、9号、10号という香系番号が付けられています。いずれも場内圃場で行なわれた生産力検定試験などの予備調査での評価が高く、どれを現地調査に出すかの検討がなされました」
 平成15年に育種担当を三木から引き継ぎ、F1からおいでまいに関わった村上てるみ主任研究員は、当時の状況を振り返りながら語っている。

 

「おいでまい」玄米用30kgの米袋
「試験場内の圃場で栽培したものに関しては、食べ比べによる食味の評価なども含め特性検定試験も行いましたが、どちらも遜色がないという結果が。でも最終的には、8号を現地調査にだすことに決定しました。その段階で私自身は、〝奨励品種としていけるのではないか〟と思っていましたが、第3者がどう評価するか、一抹の不安があったことも確かですね」
 平成21、22年の2年間、各地域の協力農家の圃場での現地調査を通して、高温登熟耐性や収穫された米の食味などその特性に対し、第3者の目で総合的な評価が下されることに。その評価は、村上主任研究員の期待を裏切ることがないものだった。
 それに伴い、香系8号は平成22年、晴れて県の奨励品種に指定。翌年「おいでまい」と命名され、デビューしたのである。
「おいでまい」は、讃岐弁で「いらっしゃい」という意味。香川県で生まれた新しいお米を多くの人に食べてほしい、食べにきてほしいという、県の農業関係者の思いが凝縮されたネーミングなのだ。







 

品質に関しては問題なしの評価を得たおいでまい


「おいでまい」PR大使による活動風景
平成23年にデビューしたおいでまいであるが、すぐに一般栽培が始まったわけではない。3年と24年に県内各地で試験栽培が行なわれ、県内を中心に試験販売も行われたのである。
 また、おいでまいの品質向上とブランド化を推進するため、県の農業生産流通課を中心に、JA香川県、生産者代表、販売団体、料理家などで構成される「おいでまい」委員会を設置。県農業生産流通課(「おいでまい」委員会事務局)の杉村隆之主任は、次のように委員会設置の目的を説明している。
「県の水稲ブランドの推進は、初めての試み。安定した品質・食味を確保する栽培技術の向上はもちろんのこと、メディアを使ったPR、販売戦略の検討が不可欠。そのため、官民が一体となった組織が必要だったのです」
 委員会は現在、「生産振興チーム」「メディア戦略チーム」「販売戦略チーム」の3チームに分けられ活動を展開している。また、おいでまいに試験栽培から関わり、実績を残した生産者を「おいでまい」マイスターに認定。彼らは品質維持のための栽培指導だけでなく、栽培現場の顔として、学校教育、PRイベントなどで活躍している 。

イメージキャラクター”おいでまいちゃん”
「おいでまい」マイスターの一人は、おいでまいの特性を次のように語っている。
「おいでまいは、高温障害が出にくく、粒ぞろいが良く、透明度も高いですね」
 そして、村上主任研究員はこう補足する。
「ヒノヒカリより短稈であるため、耐倒伏性が良く、栽培しやすいですね。また収穫したお米は、ふるいにかけて選別されますが、その網目のサイズを通常の1.8㎜から1.85mmにしたことで、より大粒なお米が揃うことにつながっています」と。
「おいでまい」マイスターの語る「透明度が高い」は、白未熟米が出にくいことを指しており、大粒であることも含めおいでまいは、ヒノヒカリに比べ、品質的には格段に向上したといってよいのである。






食味ランキングでも特Aを獲得。さらなる認知度アップの施策が!


讃岐富士とも呼ばれる「飯野山」周辺の田園風景
 高温登熟耐性があり、白未熟米がほとんど出ないということが実証されたことで、育種目標の一つはクリアされた。もう一つの目標であった食味に関しての評価は……?
 杉村主任は、ある新聞にこんなコメントを寄せている。
「これまで香川県産は(食味に関しては)Aが限界。とにかく品質にこだわりました」と。また村上主任研究員にしても、自信はあったものの、第3者の評価がどう下されるかには、不安を隠せない部分もあったようだ。
「絶対的な自信があれば、評価が悪くても〝なんでだぁ! 分かってないな〟といえるでしょうけど……。第3者が評価を下すわけですから、自分の舌を信じきれなかったというのが正直なところです。もちろん食味ランキングで特Aをとれたら、という気持ちは強くありましたよ」
 そして一般栽培が本格的に始まった平成25年、初めて日本穀物検定協会の食味ランキングに初出展された。村上主任研究員は、「結果が出るまで、ドキドキが止らなかった」と当時の気持ちを吐露していたが、そんな不安を一掃するかのように、おいでまいは特Aを獲得したのである。しかもそれは、四国産米としては、初の快挙だった。
 その結果に村上主任研究員は「正直、ホッとした」と語り、杉村主任は「驚きました。そして後になって、ジワッと喜びが湧いてきました」と語っている。「おいでまい」マイスターの方々も、「うれしいやら、驚くやらでした」と語り、結果が出た晩は、どうやら皆さんで大騒ぎの宴を催したようであるが……。 

収穫期を迎える「おいでまい」の稲穂
 おいでまいの食味は、今流行りともいえる北海道産米・ゆめぴりかのような、もっちりとした粘りの強い米ではない。適度に粘りのある独特の食感を持ち、どちらかといえばササニシキに近い、あっさりとしたクセのない味。そのため、第3者にどう評価されるかが問われたのだ。
 そして、翌26年も2年連続で特Aを獲得したが、残念ながら27年産米は、特A獲得を逃している。
「力のある品種であることは証明されました。あとは、栽培技術の基本を見直し、27年のような天候不順にも対応できる品質の安定を図ること、そして特Aを獲得し続ける足固めをすることが、委員会の推進プロジェクトの当面の目標」と、杉村主任は語っている。
 また、香川県では水稲だけではないが、2011年から「うどん県。それだけではない香川県」という、うどん以外の香川県産品や観光資源をPRする大きなプロジェクトも推進されている。それとも連動しながら、おいでまいのブランド定着をさらに進めているのだ。その一端として、おいでまいの米粉を使ったバームクーヘン、サブレといった洋菓子、団子などを積極的に開発。米そのものだけでなく、加工品を通しての「おいでまい」という名前の認知度アップを図っているのである。 

「大事に育てたい」という村上主任研究員の言葉がすべてを物語る

 おいでまいがデビューする前、平成19年の香川県で作付けされた水稲品種は、コシヒカリ36%、ヒノヒカリ47%、はえぬき6%だったが、平成27年はコシヒカリ38%、ヒノヒカリ39%、おいでまい9%(約1250ha)、はえぬき4%に。徐々にではあるが、ヒノヒカリからおいでまいへの移行が進んでいるといってよい。
 香川県では小規模農家が集まり法人化し、経営改善を図る集落営農が進みつつある。県平坦部において、その集落営農の起爆剤となっているのが、おいでまいなのである。また県の普及センターを中心に、おいでまいとさぬきの夢の二毛作が推奨され、集落営農のさらなる経営安定が図られつつある。
 平成29年以降も、おいでまいは栽培拡大の方向性は継続され、基本計画では平成32年には約3000ha(全作付面積の25%)の作付けが見込まれている。まさに、おいでまいは香川県の水稲主力品種の道を順調に歩んでいるといって良い。


「おいでまい」の田植え光景
 しかし、村上主任研究員が「大事に育てたい」と語っているように、むやみに拡大方向に推進しているわけではない。山形県のつや姫(※ごはん彩々2月号)のような極端な栽培制限を設けているわけではないが、栽培マニュアル、「おいでまい」マイスターなどの栽培指導などによって、徹底した品質維持が図られているのだ。
 これからおいでまいは、香川県だけでなく県外への流通がさらに進むはず。その時、品質を維持し、どこまで栽培方法の改善などによる食味のレベルアップが図られているか、目が離せないのである。
 そして香川農試の圃場では、水稲育種の1人担当者である村上主任研究員が、次の育種を目指して、汗を流していた。
「一人なので、できることに限界はあります。ですが、なるべく生産者や消費者の声に応えられるような品種が生み出せたらと思っています」
 と、女性ならではの優しい笑顔で語ってくれた。品質の低下が懸念されているはえぬきに代る、「早生」の品種の育成に余念がない。さて、どんな品種が彼女の手から生まれてくるか、今後も注目していきたい。
 

*文中敬称略、画像提供:香川県農業試験場、香川県農政水産部農業生産流通課

香川県おいでまいの商品は → こちら