精米は、いつごろから行なわれていたの?
Q.精米は、いつごろから行なわれていたの?
 
A.精米の起源については、はっきり分かっていませんが、縄文時代末期に稲作文化とともに、伝来したと考えられています。

 伝来当初は、赤米をモミが付いたまま煮たり、むいて食べる「焼米」という食事法でしたが、徐々にモミを取り除き、玄米にしたあと煮たり、蒸したりと、食べやすい方法がとられるようになったようです。
 脱穀が終わったあと、モミ殻を除去して玄米にする作業を「モミ摺り」といいますが、弥生時代は竪臼(たてうす)に竪杵(たてぎね)で搗(つ)いて行なわれていたようです。搗く杵の圧力で、米同士を擦りあわせ、モミ殻をとる方法ですが、同時にある程度はヌカもとれるので、これが精米につながったと考えられています。
 この杵搗き作業による半搗米(はんつきまい)の食習慣が、それぞれ専用の臼の登場により籾摺りと精米の2作業に分かれ、白米食の習慣につながっていきました。モミ摺り用の木摺臼(きずりうす)、精米用の米搗臼(こめつきうす)などがそれにあたります。そして時代を経て、水車を利用する方法なども登場。現在の機械式の精米機も、米を搗く機械という意味で、搗精機(とうせいき)と呼ばれていますが、その原理自体は、昔のままでなにも変わっていないのです。