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子どもたちが待ちに待った米飯給食の正式導入

 給食のパンといえばコッペパンが定番でしたが、昭和30年代の終わりごろから、ぶどうパンなどの加工パンや揚げパンなどの調理パンが登場。また、昭和40年代に入ると関東地方を中心にソフト麺が給食で使われるようになっていきました。

昭和39年と昭和40年の学校給食 写真:学校給食歴史館の入口

 給食のメニューにバリエーションが増えていくなか、子どもや保護者たちから「給食の主食にごはんを!」の声が高くなっていきました。また、昭和37年には、保健体育審議会から文部大臣に対し、「学校における国内産米の利用について」の答申が行われています。

 しかし、学校給食制度上に米飯の正式導入には、なんと14年後の昭和51年まで待たなくてはなりませんでした。

 この辺の事情について、全国で唯一の給食資料館である「学校給食歴史館」の館長の大澤次夫さんは、次のように分析しています。

「昭和50年以前に、子どもたちにアンケートをとったところ"ごはんが食べたい〟という意見が多かったのは確か。しかし各学校の給食室、地区の給食センターにしても、現場でごはんを炊く設備(ガス釜)自体がなかったので、米飯給食をすぐにというわけにはいかなかったようです。また、パンに比べ価格的な面でも高くなりますし、食器自体も一つ多く必要になるので国の助成なしには、簡単には実現できない状況だったのです」

 それまで、パンを納入していた業者に、「パンの代わりにごはんを!」といっても、地元の小規模なパン屋が多かったため、新たに炊飯のための設備投資を強いることもできなかったという事情もあったようです。そのため、ごはんなどの主食は家から持ってきたもの、おかずだけを給食で提供する"おかず給食〟を実施して対応した学校もあったといいます(現在でもこのシステムをとっている学校も存在)。

昭和52年の学校給食(ごはん登場!) 一方、戦後の復興期に不足していたお米でしたが、多収品種などによる増産が進められたことにより、昭和42~44年には、3年連続して各年の米消費量を約200t以上も超える供給過剰におちいる米余りの現象が起こってきました。米の生産調整が行なわれましたが、容易に米余りを解消するには至らないという状況にあったのです。そして、農業政策的な面も含め、注目を集めたのが米飯給食でした。そのため、新たに学校の給食室や給食センターでは、炊飯施設を設置する取組みが始まりました。

 実際には「余ったものを給食で……」という面もあったかもしれませんが、そんな思惑は抜きにして、昭和51年以降、子どもたちは「待ちに待ったごはん」を給食で味わえるようになっていったのです。

松阪牛にカニ一人一杯という豪華なメニューも!

 ごはんを主食にした米飯給食は、正式導入は昭和51年からですが、埼玉県では昭和44年に北川辺村(現加須市)で、県内初の米飯給食が実施されています。米作農業が盛んで、県内一の米どころであったことが、正式導入前の米飯給食につながったのですが、他県でも同じように米飯給食を実施していた地域もあったようです。

 米飯給食が正式導入された当初は、ごはんを主食にした給食は月に数回、週に1回というペースでしたが、徐々に提供される回数が増え、現在は埼玉県では3.2回、全国平均では3.4回までに増えています。

 そして学校給食用米穀は、当初は政府米でしたが、平成12年に学校給食用米穀(政府米)の値引き措置が廃止されたことにより、学校給食に自主流通米の使用が広がっていきました。

 「埼玉県給食会では全国に先駆け、平成10年12月から、会で扱う米穀は100%県産米に切り替わりました」と埼玉県学校給食会・田島和彦食材課長。

写真:米俵と学校給食用の米袋 「そして県内では市町村によって地場産の銘柄米を使用しているところがありますが、現在、県給食会の統一規格米としては、県産の彩のかがやき6割、県産のコシヒカリ4割のブレンド米を提供しています」とのことです。

 埼玉県以外でも、愛知県ではあいちのかおりが学校給食の定番米として使われるなど、東京・大阪などの大都市圏を除いては、学校給食に県独自のブランド米や県産米を使うところが増えています。いずれにしても、現在の学校給食では美味しいブランド米が提供され、子どもたちはそれを普通に口にしているというわけです。

 「平成12~13年頃から、学校給食にお米だけに留まらず県産の野菜を使うなど、地産地消の動きが活発化。それに伴い、学校給食に郷土料理という文言が、よく使われるようになってきました。しかし実際には、学校給食では、郷土料理はそれ以前からも提供され続けているメニューの一つでした」と学校給食歴史館の大澤館長。

写真:カニ また、毎年、全国約2000校が、地元食材を使って給食の美味しさや栄養価などを競い合う「学校給食甲子園®」を主催する特定非営利活動法人21世紀構想研究会の馬場錬成理事長は、「レトルトや冷凍食品などにも美味しく、しかも栄養バランスに優れたものが登場したことで、それらを賢く利用するお母さんが増え、自ずとその地方の食材を使った郷土料理が家庭から姿を消していったのです。その家庭料理を伝搬しているのが学校給食とも言えます」と語っています。

 学校給食においては、前述した「我が国や各地域の優れた伝統的な食文化についての理解を深めること」などの目標がなくても、それぞれの地域の食文化が綿々と受け継がれてといえるのです。

 さらにイベント性が強い特別な給食メニューとしてですが、三重県松阪市でA5ランクの松阪牛を使ったすき焼き風のすき煮、長崎県佐世保市では、特産のふぐをつかったふぐの唐揚げやふぐ雑炊、富山県高岡市や射水市の小学校では一人につきカニ一杯など、サラリーマンのお父さんが羨む、なんとも豪華な地産地消を代表するメニューが彩ることさえあります。まさに"学校給食とあなどるなかれ〟なのです。

写真:松阪牛やふぐのからあげ

学校給食の歴史(概要)

明治~大正~昭和(戦前・戦中)
一部の小学校で学校給食が始まる。児童の貧困対策、栄養改善が目的だった。

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明治22(1889)年
日本最初の学校給食
山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で貧困児童を対象に無料で学校給食を実施。この小学校を設立した僧侶が、おにぎり・焼き魚・漬物の昼食を出したことに始まる。
このほか、広島県大草村義務奨励会による給食、秋田県高梨尋常高等小学校で貧困児童のための給食、岩手県、静岡県、岡山県下の一部で給食が実施される。
大正8年
東京府でも、私立栄養研究所佐伯所長の援助を受け、東京府直轄の小学校にパンによる学校給食を開始する。
大正12年
文部次官通牒「小学校児童の衛生に関する件」において、児童の栄養改善のための方法としての学校給食が奨励される。
昭和15年
文部省訓令第18号「学校給食奨励規程」により、対象を貧困児童のほか栄養不良児、身体虚弱児にも広げ、栄養的な学校給食の実施へ、内容の充実が図られる。
昭和19年
6大都市の小学校児童約200万人に対し、米、みそ等を特別配給して学校給食が実施される。
昭和(戦後)
学校給食が制度化され、全国に広がり、米飯給食も正式に導入される。

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昭和21年
文部、厚生、農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の学校給食の方針が定まる。同年12月24日、ララ物資により東京、神奈川、千葉の三都県の学校で試験給食が実施される。
昭和22年
全国都市の児童約300万人に対し学校給食を開始する。
昭和23年
文部省体育局長通達「学校給食用物資の取扱いについて」により各都道府県で物資受入れ体制を指示。これが現在の都道府県学校給食会の起源につながる。
昭和24年
ユニセフ(国際連合児童基金)からミルク(脱脂粉乳)の寄贈を受けて、ユニセフ給食が開始される。
昭和25年
8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施される。
昭和26年
2月から完全給食が全国市制地にも拡大実施され、27年4月に至り全国すべての小学校を対象に実施される。
*講和条約の調印に伴い、給食用物資の財源であったガリオア資金(アメリカの占領地域救済政府資金)が6月末日をもって打ち切られ、学校給食は中止の危機にさらされる。これに対し、国庫補助による学校給食の継続を要望する運動が全国的に展開される。
昭和27年
日本学校給食会が脱脂粉乳の輸入業務を開始、また、ユニセフ寄贈の脱脂粉乳の受入配分業務も実施される。小麦粉に対する半額国庫補助開始。
昭和29年
第19国会で「学校給食法」成立、公布される。同年中に学校給食法施行令、施行規則、実施基準等も定められ、学校給食の実施体制が法的に整う。翌年、日本学校給食会法制定公布。
昭和33年
「学習指導要領」が改訂され、学校給食が初めて学校行事等の領域に位置付けられる。同年、文部省管理局長から「学校給食用牛乳取扱要領」が通達され、脱脂粉乳から牛乳への移行が行なわれたが、完全に牛乳になったのは、しばらく後だった。
昭和37年
保健体育審議会から文部大臣に対し、「学校における国内産米の利用について」答申が行われる。
昭和38年
脱脂粉乳に対する国庫補助が実現。脱脂粉乳からミルク(牛乳)給食の全面実施が推し進められる(地域差がある)。
昭和50年
学校給食用として輸入牛肉の特別枠が決定される。同年、学校給食分科審議会は、米飯導入について教育上有意義であるとの結論をまとめる。
昭和51年
学校給食制度上に米飯が正式に導入される。(2月学校給食法施行規則の一部改正)
昭和62年
学校給食米飯導入促進事業において米飯成型機(おにぎり機械)への助成が開始される。
平成
学校給食が食教育の一環として捉えられるようになる。

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平成元年
「小学校学習指導要領」、「中学校学習指導要領」が改正され、学校給食は「特別活動」の中の「学級活動」に位置づけられる。同年、学校給食用自主流通米助成金が導入される。(助成率は政府米値引相当額の75%)
平成6年
平成5年度米の異例の作柄不況に伴い、学校給食用米穀について平成6年4月から10月の間、自主流通米が供給され、この期間については、食糧庁において特別財政措置が講じられる。
平成7年
学校給食における標準食品構成表が改定される。
平成12年
学校給食用米穀(政府米)の値引き措置が廃止される。給食に自主流通米の使用が広がる。
平成17年
食育基本法が制定される。
平成18年
食育推進基本計画が制定される。
平成21年
学校給食法が改正される。

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