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小出監督に出会えたことが、私にとっては金メダル以上の勝利

高橋尚子写真

大学時代の高橋さんは、8時までの自主練習、独学で行なっていた食事管理の成果が出たのか、徐々に記録を伸ばし、卒業する頃には実業団のチーム8社から勧誘がくる選手に成長していた。

しかし、大学卒業後に陸上を続けることに関しては決めかねていた。教職課程をとっていたので、教師だった両親と同じ道を歩むという選択肢も残っていた。

――母校の県立岐阜商業高校の恩師(中澤正仁陸上部監督)から、「今までと同じような気持ちで、数年間陸上を続けたいだけならやめた方がいい。世界一を目指す気持ちがあるなら続けなさい。もしそうなら、なぜ有森裕子選手を育てた小出義雄監督の門を叩かないのか」と助言を受けました。

中途半端な自分の気持ちを振り切るため、勧誘のあった会社には、すべてお断りをして、インターハイ富山大会の時、小出監督にお会いしに行きました。監督からは「うちは、大卒採用はしていない」と断わられましたが、どうしてもとお願いして、自費で北海道合宿に参加させていただいたのです。

もう、死に物狂いの2週間でした。アジア大会に出場が決まっていた五十嵐(美紀)先輩など錚々たるメンバーの中で、私自身も限界にチャレンジしました。

そして合宿の終わりに、「正社員では採用できないけど、契約でよかったらうちにくる」という言葉をいただきました。

私は即座に、「お願いします。私を強くしてください。お給料はいりません、ごはんが食べられればいいんです」と答えていました。

エリートランナーではなかった私が、自分の人生の扉を開けられ、小出監督に出会えた事こそがオリンピックの金メダル以上に、私にとっては価値ある勝利だと思っています。

現役時代は「カレー、カレー」と呟きながら走っていたことも

リクルート、積水化学と小出監督のもと、努力という根を張り、その才能を開花させた高橋さん。彼女の座右の銘は「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」だが、まさにそれを実践したといっていい。しかし、女子マラソンにおける素晴らしい成績は、「自分だけの力では残せなかった」と彼女は語っている。

高橋尚子写真

――実は実業団に入ってラクになったことが一つありました。それが食事の管理。専門の管理栄養士の方が全部やってくれる事が嬉しかったですね。自分であれこれやるよりも専門家に任せた方が、安心ですし。

コーチやトレーナーにしても同じ。自分がやるべきことを全力でやる。そしてみんなが世界一のコーチ、トレーナー、管理栄養士を目指す。同じ目標で苦労を共有することが、チーム全体の充実感につながっていくのです。

もし私一人だけだったら、厳しい練習をこなせなかったと思っています。

そして高橋さんをはじめとするトップランナーにとって、食事は練習や合宿における唯一の楽しみだったという。

――現役時代は、テレビは観ない、コンビニなどに行くこともない、「食べて、寝て、走る」だけの生活。合宿では、朝食前に50kmを走って、シャワーを浴びて、ごはんといった感じが続きます。唯一の楽しみはごはんのメニューだったといっても過言ではありませんでした。

走りながら、「カレー、カレー」と呟いたりしていましたね(笑)。

私が現役時代には、ごはん以外にも毎日食べているものがありました。それは、“ひじき”、“納豆”、“レバー”の3種類。良質なタンパク質と、貧血になりやすいマラソン(着地をした瞬間の衝撃によって赤血球が壊れてしまって、貧血になる確率が高くなる)では鉄分補給が欠かせなかったからです。

バランスよい食事を十分にとる――食べることも仕事のうちだと思っていましたが、いつしか食事こそが楽しみになっていましたね(笑)。